ビスポークならではのリラックス感あふれる、ラグランスリーブ「ダブルチェスターコート」
ビスポークならではの特別なコートが完成しました。私自身は今回I様にご相談いただくまで、歴史的にこのようなデザインがあることを知らなかったのですが、完成を拝見して同じものをオーダーしたくなってしまいました。リラックス感とエレガンスが共存する、素晴らしい仕上がりをご覧下さい!
I様にコートのご相談をいただいたのは、コートが完成する半年前の初夏のこと。ラグラン袖のダブルということで、てっきりアルスターコートのことだろうと思いながら、いただいた画像を確認したところ、その襟はピークドラペルでした。
いただいた画像。右の緑のハットの紳士のコートがイメージソースです。セットインスリーブだと、左の紳士のように多少四角い外形線になるところ、上襟から滑らかにラグランスリーブへと繋がる、丸い外形線が特徴的です。
これはラグランスリーブのダブルチェスターコートと呼んで良いでしょう。リクエストは、「ラグランスリーブでありながら着心地が軽く感じること」。そして、「格好をつけ過ぎず、かっちりせずに柔らかさがあり、着心地も見た目もリラックス感がある」という、イメージも共有してくださいました。
弊店メイドトゥメジャーのラグランコートもお試しいただいてお気に召してはいただいたものの、ピークドラペル含めご要望のディテールと着心地を実現するにはビスポークが最適という結論に至りました。
生地はグレーヘリンボーンをご希望でしたので、英国製、イタリア製とおすすめを何種類かご覧いただいた中で、ヴィターレ・バルベリス・カノニコ社の生地に白羽の矢が立ちました。
ウール100%のダブルフェイス。グレー地に裏のネイビーが透けて、見る角度によってはブルーグレーに見えます。非常に長く着られて表のグレーの生地が薄くなると、ネイビー味が強くなってくるというそんな経年変化も楽しめる、一見普通に見えて実は個性豊かな生地なのです。
ダブルフェイスならではの、ふっくらもっちりした質感、ウエイトがあり高い防寒性が期待できつつしなやか、何よりコート生地では類を見ないほど控えめなヘリンボーンが柔和な雰囲気を出しており、まさにコンセプトにぴったりの生地と言えるでしょう。
最初のお打ち合わせと採寸から1ヶ月半ほど後に仮縫い、
さらに1ヶ月半ほど後に中本縫い、
(仮縫いと比べていただくと、ピークドラペルや腰ポケットが出来上がっているのがお分かりいただけるかと思います。上衿はまだ仮の状態です。)
とフィッティングを重ねつつ、ディテールのバランスも見直していきました。手が入れやすいよう、仮縫いよりも角度を強めて前に寄せた腰のポケットなどはその賜物で、機能がそのままこのコートのコンセプトである「リラックス感」を表すものとなりました。
それでは、完成したコートを見て参りましょう。
ディテール
ピークドラペルと腰ポケットの直線が、全体の柔和な雰囲気に対して良いアクセントとなっています。
暖かいようにVゾーンは狭めに。
上衿からラグランの肩へと続く丸い外形線がポイント。
第一ボタンを外すと、段返りのようにラペルのロールが生まれ、さらに柔らかい印象に。
前述した、手が入れやすいように大きくスラントさせた箱ポケット。箱の幅をあえて広くして、カジュアルな印象に。内側にはI様のリクエストでパスケースが入る忍びポケットを装備。個人的に、斜めに走る脇ダーツとポケットの交わるこの感じが好きなポイント。
ターンナップカフス。ボタン無しのものもありますが、今回はボタンをつけて。
ご試着
いよいよ、I様に袖を通していただきました。
仕立て職人の小島氏が着せつけ。
ラグランスリーブの特徴的な縫い目。
首から脇の下へと繋がる縫い目に、脇の斜めダーツ。シンプルな生地に縫い目やステッチが陰影を作りだしています。この感じ、たまらないです。
I様の第一声は「軽いですね!」でした。大事な1stコンセプトをクリアできました。袖は3枚袖を採用。捻れずに腕の振りに沿う、ビスポークならではの袖。
仮縫いで修正した腰ポケットも手が入れやすく、良い塩梅。
フラワーホールと言われ、今や飾りとなっているラペルのホール。今回は飾りではなく機能するように設計。「上まで閉めると温かいので、これも役に立ちそうです。」とI様。
胸周りはフィットさせつつ、裾に向かってわずかに広がるAラインに。袖のカーブが美しい。
全体のバランスがよく、I様とコートがものすごく馴染んでいるのがお分かりいただけるでしょうか。膝下丈は、防寒性を考慮しつつ、I様のご要望で電車で座った際に横に広がりすぎないボリュームも検討しました。
袖口から上襟を通って反対の袖口へと、Uの字を逆さにしたような丸い外形線は、ラグランスリーブに加えて、職人の小島氏が上襟に施した工夫が効いています。
鎌襟と言って、上襟を首の方に寝るように低く仕立てることで、肩線と上襟との高低差を押さえ、丸く繋がって見えるような設計に。「格好をつけ過ぎず、かっちりせずに柔らかさがあり、着心地も見た目もリラックス感がある」というコンセプトに忠実に。
カーブをつけずに、地の目を通した直線的なラペルがクラシックかつ素朴な味。
一般的なダブルチェスターコートだとフラップ付きの両玉縁ポケットを採用するところ、ハンドウォーマーと呼びたくなるような大きな箱ポケットを配置。胸ポケットも無くして、リラックス感を強めています。
「Vゾーンの深さが深すぎず、ちょうど良いです。」と言っていただきました。撮り忘れてしまいましたが、裏地はシンサレート内蔵のキルティング裏地。これだけVゾーンをカバーしてキルティング裏地でしたら、温かいはずです。
「軽く、でもなるべく暖かく」ということで採用したキルティング裏地ですが、I様に後から伺ったところですと、キルティング裏地はその凹凸が着心地の安定感をもたらしてくれるとのことでした。
肩から首にかけての丸いラインと、ピークドラペルの直線的なラインが対照的で、なんとも好ましいです。袖の落ちも申し分無し。
見どころが詰まった写真。先に触れた、首に対して寝るように仕立てられた鎌襟も、この角度だと分かりやすいです。
お納めしたのちにお具合をお伺いしたところ、「体の凹凸を拾ってフィットするビスポークゆえか、重いのに疲れない」とのコメントをいただきました。通勤でのご着用を想定したコートですが、このリラックス感でしたらオフでも大活躍しそうですね。ぜひ一生物としてご愛用いただけたら幸いです。
ベーシックなジャケットといえど一つとして同じ仕立ては無く、毎回気づきがあるビスポークですが、今回はラグランスリーブのダブルチェスターコートという、未知のアイテムをお仕立てする機会をいただきました。
我々の引き出しが増えたのはもちろんのこと、お納め後に小島氏と顔を見合わせて言ったのは「自分たちもあのコートが欲しい!」ということでした。また一つ、ビスポークしたいアイテムが増えてしまいました。ドレッシー過ぎず、カジュアル過ぎず、日常で着ていて浮くことはないさりげなさで、でも洋服好きが見たら思わず振り返ってしまう、そんなコートです。
I様、この度は誠にありがとうございました。